幸せに満ちた結婚生活は長くは続きませんでした。2012年5月、スポーツ紙各紙が「離婚協議入り」を一斉に報道します。りえさん側も代理人弁護士を通じて事実関係を認め、そこから2016年3月に正式な離婚成立が発表されるまで、足掛け4年もの歳月を要することになりました。
なぜ円満な夫婦生活が破綻に至ったのか。表面化していた最大の理由は、「生活拠点の地理的格差」と「仕事に対する情熱の温度差」でした。中津氏はハワイでのビジネスを中心とした生活を望み、家族でハワイに定住することを希望していました。一方で、りえさんは舞台『人形の家』など演劇界の巨匠たちから熱烈なラブコールを受け、女優としての魂を再燃させていた時期と重なります。日本で本格的に役者人生を追求したいりえさんと、ハワイに根を下ろしたい夫との間で、日々の生活リズムや子育て環境をめぐる意見の食い違いが決定的になっていきました。
さらに長期間の協議となった核心は、愛娘の親権争いにありました。異国の地で育てることを主張する中津氏に対し、りえさんは「自らの手で日本で育てる」という強い意思を一歩も譲りませんでした。週刊誌の取材陣が捉えた当時のりえさんの姿からは、連日の舞台稽古をこなしながら弁護士事務所に通い詰める緊迫感が滲み出ており、娘を守り抜く覚悟がひしひしと伝わっていました。最終的に親権はりえさんが持つことで双方が合意し、2016年3月に正式なピリオドが打たれました。