引退後の中野太郎が送っていた日々に、かつての威勢はありませんでした。2005年の組織解散以降、表舞台から完全に姿を消した元会長は、関西や沖縄などの拠点を転々としながら療養に専念していました。
晩年の身体状況は極めて過酷なものでした。脳梗塞によって右半身の麻痺や言語障害を患い、自力歩行が困難となったため、外出時には車椅子と家族・支援者の手助けが欠かせない状態に陥っていたと関係者は証言します。かつて数百人の精鋭武闘派組員に号令を下していた男が、日々の食事や入浴にすら介助を必要とする現実に直面していたのです。
沈黙を保ち続けていた中野太郎が、世間に強烈な一撃を放ったのが2018年12月の自著『悲憤』(講談社)の出版でした。聞き取りをもとに編纂されたこの手記の中で、彼は自らの肉声を次のように残しています。
「わしはヤクザとして生き、ヤクザとして死ぬ覚悟やった。だが、裏切りと計算ばかりが横行する世界で、何が正義だったのか」
手記には、絶対的な忠誠を誓っていた五代目山口組組長・渡辺芳則への尽きせぬ敬慕の情と、対立した若頭・宅見勝への激しい怨嗟、そして自らを排除した組織の権謀術数に対する怒りが生々しく綴られていました。病魔に侵され、声もおぼつかない衰弱した肉体の中にありながら、その精神だけはかつての「武闘派・中野太郎」のまま燃え盛っていた事実が、読者に強烈な印象を与えました。