小池栄子さんが芸能界入りを果たした1990年代後半、世はまさに「巨乳グラビアブーム」の前夜でした。当時、芸能プロダクション「イエローキャブ」を率いていた野田義治社長は、清純派一辺倒だった女性アイドルの潮流を塗り替え、健康的な肉体美とパーソナリティを前面に押し出す戦略を展開していました。
世田谷の老舗遊技場を営む家庭で育ち、和洋九段女子中学校・高等学校で創作ダンスに打ち込んでいた小池栄子の若い頃は、決して芸能界への執着が強かったわけではありません。しかし、事務所面接に現れた彼女の均整の取れたスタイルと、何より物怖じしない芯の強さに野田社長は瞬時に才能を見抜きました。公表されていたスリーサイズはB91・W59・H87、カップ数は豊満なFカップ。当時のグラビア界でも群を抜くバランスの良さは、雑誌グラビア各誌の表紙を瞬く間に独占することになります。
しかし、イエローキャブが他社と決定的に異なっていたのは、単に露出度を高めるだけでなく「バラエティ番組で生き残れる頭の回転の速さ」を徹底して叩き込んだ点にあります。MEGUMIさん、佐藤江梨子さん、山田まりやさんらとともに切磋琢磨した環境下で、小池さんは「容姿だけでは数年で消費されて終わる」というシビアな現実を10代のうちから肌で感じ取っていました。