「争いを避け、周囲に合わせることが大人の対応だ」「波風を立てないのが美徳である」――日常のあらゆる場面で、「和を以て貴しとなす」は自己主張を抑え込む免罪符のように使われてきました。しかし、歴史的な文脈を精査すると、この解釈は本来の意図と正反対の誤解であることが分かります。
聖徳太子が生きた6世紀末から7世紀初頭は、蘇我氏と物部氏による熾烈な権力闘争が繰り広げられ、豪族同士が激しく対立していた動乱の時代でした。お互いが私利私欲や派閥意識に囚われ、国家としての意思決定が麻痺していたのです。
そうした混乱を収拾するために提示されたのが、「感情的な対立をやめ、公の場で本質的な対話を尽くせ」という指針でした。言いたいことを飲み込んで表面的な平和を取り繕う「事なかれ主義」ではなく、互いの違いを認めたうえで高次元の一致を目指す姿勢こそが、本来の「和」の姿です。