2005年5月、稲川裕紘は病のために急逝した。65歳という早すぎる死は、稲川会のみならず、日本の裏社会全体に大きな衝撃を与えた。絶対的な指導者であった父・聖城が健在である中での先立ちであり、組織の跡目問題を巡る不透明感がいっきに表面化した。
彼の死後、稲川会は四代目、五代目、六代目へと引き継がれていくが、彼が直面していた「法規制の強化と経済的困窮」という根本的課題は、年を追うごとに深刻化していった。彼が遺した組織運営のノウハウや外交パイプは一定の評価を受けつつも、時代そのものが暴力団という存在を一切許容しない方向へと加速していったのである。