第一生命保険相互会社(当時)にとって、GHQによる接収通告はまさに青天の霹靂でした。1945年9月8日、米軍先遣隊が突如ビルを訪れ、わずか48時間以内の全面退去を要求したと伝えられています。社員たちは重要書類や什器をリヤカーやトラックに積み込み、近隣のビルや仮社屋へと必死に避難させました。
それから1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約発効に伴う返還まで、約6年8カ月(通算2434日間)にわたり、第一生命館は日本の主権の外に置かれた権力の心臓部として機能し続けました。占領期間中、建物前には星条旗が掲げられ、白いヘルメットをかぶった米軍憲兵(MP)が24時間体制で厳重な警備を敷いていました。
1952年7月、全面返還を受けた第一生命は、接収中に改装された内部を原状復旧しつつも、歴史的遺産としてマッカーサー元帥の執務室を特別に保存することを決定しました。激動の時代を見守った空間を後世に継承するという決断は、日本の近代建築史・戦後史の双方において極めて価値の高い選択となりました。