貴景勝の並外れた勝負根性は、父・佐藤一哉氏の武道哲学から生み出されました。一哉氏は自身も極真空手の指導歴を持つ筋金入りの武道家であり、息子が幼少期を迎えると迷わず空手道場の門を叩かせました。
幼少期の貴信少年は瞬く間に頭角を現し、小学2年生にして全国大会で準優勝を果たすほどの実力を身につけます。しかし、ここで親子を相撲へ向かわせる決定的な転換点が訪れます。全国大会の決勝戦で、微妙な旗判定により敗北を喫したのです。表彰式で悔し涙を流す息子に対し、一哉氏は厳しい口調でこう言い放ちました。
「判定で負けるような競技はもうやめろ。相手をリングの外へ押し出すか、土俵に叩き落とせば誰が見ても勝敗がわかる相撲をやれ」
主観的な判定に左右されず、白黒が明確につく世界へ挑めという父の強い意志でした。小学3年生で相撲を始めてからの稽古は、過酷を極めました。土俵での稽古が終わった後も、自宅の庭やリビングで父がマンツーマンで四股や摺り足を徹底指導。夜遅くまでぶつかり稽古を繰り返す日々に、近隣住民から心配の声が上がるほどだったと回顧録で語られています。逃げ場のない厳しさの中で、貴景勝は「負けたらすべて自分の責任」という勝負師の覚悟を徹底的に刷り込まれていきました。