ネット上の言説やレビューにおいて、映画『凶悪』の設定がすべて完全な事実であると誤認されているケースが散見されます。しかし、映画としてのドラマ性を高めるために、いくつかの重要な脚色が施されています。
最大の相違点は、主人公・藤井記者の「私生活の崩壊」に関する描写です。劇中では、藤井が認知症の義母の介護を妻に押し付け、家庭が崩壊していく過程が重々しく描かれますが、これは白石和彌監督と脚本陣による創作です。実際の宮永記者をはじめとする新潮45取材班は、複数人のプロのジャーナリスト組織としてチームで取材を進めており、個人的な家庭崩壊が取材の動機となったわけではありません。
白石監督はこの家庭内の閉塞感や介護疲れという「日常の闇」を挿入することで、観客に対し「誰の日常のすぐ隣にも狂気や暴力が潜んでいる」というメッセージをより身近な問題として提示したと語っています。
【プロの結論】犯罪心理と社会構造から読み解く教訓|鑑賞すべき人と避けるべき人の基準
本作が描き出したのは、単なる凶悪犯の異常性だけではありません。人間が持つ「共依存関係」と「心理的バウンダリー(境界線)の崩壊」がもたらす悲劇です。
ヤクザである須藤は腕力を行使できる一方で、「先生」の狡猾な知恵に依存し、自らの存在価値を見出していました。先生は須藤の暴力性を巧みに利用し、自らの手を汚さずに莫大な利益を得ていました。この支配・被支配の病理構造は、カルト宗教やブラック企業、機能不全家族における「心理的搾取」のメカニズムと完全に一致します。