小児麻痺の後遺症に加え、泉谷しげるの足腰に大きな負担をかけてきたのが、長年にわたる過激なライブパフォーマンスと事故の歴史です。
1970年代から80年代にかけてのライブハウスや野外フェスにおいて、泉谷のステージはまさに命懸けでした。観客席へダイブする、大型スピーカーから飛び降りる、マイクスタンドを振り回して暴れるといった激しいアクションを繰り返す中で、ステージからの転落事故や肋骨・四肢の骨折、打撲などの怪我を日常茶飯事のように経験してきました。
左足に障害を抱えながらも、それを観客に悟らせまいと右足一本で身体を支え、ジャンプを繰り返すパフォーマンスを続けた結果、健常な右足の膝や股関節、腰椎にも大きな負担が蓄積していきました。過去の怪我歴や関節の酷使が、年齢を重ねるにつれて歩行の違和感として表出しやすくなった側面もあります。