日本サッカー界における「10番」は、単なる1/11の背番号ではありません。Jリーグ草創期のラモス瑠偉が放った野性とカリスマ、2000年代にかけて世界へ扉を開いた中田英寿、類まれな左足のキックで列島を熱狂させた中村俊輔、そしてマンチェスター・ユナイテッドに君臨しザックジャパンの躍進を牽引した香川真司など、その時々の日本代表のアイデンティティそのものを投影してきました。
2026年カタールW杯前後は南野拓実が重圧と戦いながら10番を引き受けていましたが、同大会後のリスタート以降、この神聖なる番号を引き継いだのが堂安律です。堂安が10番を着けることになった背景には、本人の明確な意志表明が存在していました。合衆国や欧州のメディア取材、さらには各紙のロングインタビューでも、堂安は次のように語っています。
「10番が空いているなら、自分がつけたいと監督や関係者に伝えた。強い覚悟がなければこの番号は背負えないし、批判を集めるポジションに立ってこそ自分は一番力を発揮できる」
公の場で見せる挑戦的な語り口の裏には、カタールW杯でドイツやスペインを沈めた実績に裏打ちされた強靭なメンタリティがあります。また、日本代表のオフィシャルサプライヤーであるアディダス社との契約アスリートの代表格であるというマーケティング要因も、堂安の10番定着に自然な追い風をもたらしました。歴史的に見てもアディダスと強固なパートナーシップを結ぶ選手が10番を纏うケースは多く、堂安の選定は商業的合理性と現場の戦術的納得感が完璧に合致した模範例といえます。