東大寺大仏の大きさ完全解剖!座高15Mの迫力と鎌倉比較の真相

東大寺大仏の大きさ完全解剖!座高15Mの迫力と鎌倉比較の真相

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なぜ聖武天皇は、国家財政を揺るがすほどの巨大な大仏造立に踏み切ったのでしょうか。その背景には、天平期(730年代〜740年代)に日本を襲った未曾有の国難がありました。

当時の平城京周辺では、天然痘の爆発的な大流行により政権中枢の藤原四兄弟をはじめ人口の約3分の1が命を落としたと伝えられています。さらに大地震の頻発、大凶作による飢饉、そして貴族間の激しい権力闘争(長屋王の変や藤原広嗣の乱)が相次ぎ、社会全体が極度の不安と絶望に覆われていました。

この危機に対し、聖武天皇は天平15年(743年)に「大仏造立の詔(みことのり)」を発布します。仏教の宇宙観において無限の光と慈悲で世界を照らす存在とされる「盧舎那仏」の力を借り、国家の平安と民の幸福(鎮護国家)を祈願したのです。

この大事業を実質的に支えたのが、民衆から絶大な支持を集めていた高僧・行基(ぎょうき)でした。朝廷から弾圧されていた行基を招聘し、民衆の力を結集する動員体制を構築。記録によると、大仏造立に関わった人員は延べ約260万人に達したとされます。当時の日本の総人口が約600万人弱と推計される中、国民の約半数が資材の運搬や鋳造作業に何らかの形で関与した計算となり、まさに古代日本最大規模の国威発揚型公共事業でした。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。