Webメディアや一部のまとめ記事では、アクセス数を稼ぐために「平成の女王vs令和の覇者」「水面下のライバル関係」といった対立構造で2人を煽る言説が散見されます。しかし、これは業界の現場感覚から完全に乖離した誤解です。
実態としての2人は、パイを奪い合うライバル関係などではなく、J-POPという表現フォーマットの可能性をそれぞれの世代から拡張し続けている同志です。米津玄師は自らの音楽が宇多田ヒカルの拓いた地平の上に成り立っていることを誰よりも自覚しており、宇多田ヒカルもまた、自身が切り拓いた道をさらに先へと押し進める米津の存在を頼もしく見守っています。
メディアが作り出す安直な「対決構図」に惑わされることなく、2人がそれぞれの歩幅で日本のポップカルチャーを更新し続けているという連続性こそが、私たちが目撃している歴史の真実です。