海の見える丘公園と港の決定的な違い|絶景と見頃の真相を現地検証

海の見える丘公園と港の決定的な違い|絶景と見頃の真相を現地検証

海の見える丘公園と港の決定的な違い|絶景と見頃の真相を現地検証の見逃せないポイントを一挙に解説しました。

現在でこそ緑豊かな憩いの場として親しまれていますが、この場所が辿ってきた足跡は極めて劇的です。幕末の開港期、この一帯は外国人居留地として指定され、丘の上にはイギリス軍、山裾にはフランス軍がそれぞれ軍隊を駐屯させていました。現在も公園内に残る「フランス山地区」の風車モニュメントや井戸の遺構、イギリス館の重厚な佇まいは、国防と外交の最前線だった緊迫した時代を雄弁に物語っています。

第二次世界大戦後、米軍による接収という苦難の時期を経て、転機が訪れたのは昭和30年代初頭でした。接収解除を受けた地元市民から「歴史ある景勝地を公園として残してほしい」という熱烈な要望が湧き起こり、国有地の無償貸付を受ける形で横浜市による用地取得と整備が進められたのです。

そして1962年(昭和37年)5月、公園は面積約5.7ヘクタールの都市公園(風致公園)として正式に開園しました。開園式典では、戦後の大ヒット曲として国民に愛された平野愛子さんの歌「港が見える丘」の調べが流れる中、公園の生みの親と称される当時の半井市長によるテープカットが行われました。名曲の情緒と市民の不屈の復興への祈りが結実したことこそが、この地が「海」ではなく「港」と名付けられた歴史的必然だったのです。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。