赤西仁の脱退理由を巡っては、当時メディアで多種多様な憶測が乱れ飛びました。しかし、残された公式記録と本人の後年の発言を精査すると、理由は突発的なトラブルではなく、本人の目指すクリエイティブの方向性と巨大アイドルグループの宿命的な枠組みとの決定的なズレに行き着きます。
脱退を決定づけた要因は、大きく分けて以下の3つに集約されます。
第1に、「海外進出への強い意志と語学留学」です。デビュー直後の2006年10月、赤西は突如として芸能活動を休止し、アメリカ・ロサンゼルスへ語学留学へと旅立ちました。当時22歳、グループが人気絶頂を迎えていた最中の決断は世間に大きな衝撃を与えました。約半年後の2007年4月に帰国してグループ復帰を果たしたものの、現地で肌で感じたグローバルなエンターテインメントの空気と自由な制作環境は、彼の心に「世界標準の音楽を作りたい」という拭いがたい情熱を植え付けました。
第2に、「グループとの音楽性・表現スタイルの乖離」です。KAT-TUNは「ギリギリでいつも生きていたい」という象徴的な歌詞に代表されるハードなロック調、攻撃的なパフォーマンスを持ち味としてブランディングされていました。対して赤西が傾倒したのは、全米チャートを賑わせていたR&B、ヒップホップ、クラブミュージックでした。後年、赤西自身も出演番組などで「自分がやりたい音楽表現と、グループとして求められるアイドルのパブリックイメージにギャップが広がっていった」という趣旨の吐露をしています。この音楽的嗜好の差異は、ソロでの楽曲制作やライブプロデュースへの渇望へと直結していきました。
第3に、「個人活動の優先とグループ活動の両立困難」です。2010年に入ると、赤西は東京・日生劇場でソロライブ「友&仁(You & Jin)」を成功させ、同年6月にはロサンゼルス公演を単独で敢行。この時点で、全国ツアーを控えていたKAT-TUNの活動スケジュールと赤西の海外展開が完全にバッティングする事態となりました。2010年7月、ジャニー喜多川氏(当時)が赤西のグループ離脱を正式に示唆し、同年秋にソロ転向が正式決定しました。「グループの一員として足並みを揃えること」を至上命題とする当時の事務所システムの中で、彼のスピード感と海外志向はもはや収まりきらない規模に膨らんでいたのです。