ゴイアニア被曝事故の真相と現在|青く光る粉が招いた悲劇と教訓

ゴイアニア被曝事故の真相と現在|青く光る粉が招いた悲劇と教訓

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放射線がもたらした破壊は、身体的な障害や死だけに留まりませんでした。汚染発覚直後、ゴイアニア市内のサッカースタジアム「エスタジオ・セラ・ドウラーダ」には、自身が汚染されているのではないかとパニックに陥った11万人を超える市民が殺到しました。この未曾有の大規模検査は、住民の間に極度の恐怖と相互不信を生み出しました。

事故後、ゴイアニア市民はブラジル全土から激しい差別に晒されることになりました。州外に出張した住民がホテルへの宿泊を拒否されたり、他都市行きの長距離バスへの乗車を拒まれたりする事例が相次ぎました。また、ゴイアス州で生産された牛肉、大豆、農産物、工業製品は「放射能に汚染されている」という根拠のない風評被害によって取引をボイコットされ、地域経済は甚大な打撃を受けました。

さらに悲惨だったのは、生き残った当事者たちの心理的崩壊です。廃品回収業者のデヴァイルは、重度の被曝を受けながらも一命を取り留めましたが、「自分の好奇心のせいで最愛の妻や姪、従業員を殺してしまった」という耐え難い罪悪感と自責の念に苛まれ続けました。彼は深刻な鬱病を患い、アルコールと抗不安薬に依存する生活へと転落。事故から7年後の1994年、肝硬変と癌により失意のうちにこの世を去りました。

ネット上の掲示板やSNSでは「被曝者は全員が数年のうちに癌で亡くなった」といった過度な言説が散見されますが、これは事実と異なります。多くの軽中度被曝者は適切な医療処置とプルシアンブルーによる除染によって生存し、現在も生活を営んでいます。しかし、彼らが受けた精神的なトラウマ、結婚や就職における偏見、そして「いつ後遺症が現れるかわからない」という終わりのない恐怖こそが、事故の最も残酷な爪痕であったと言えます。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。