1990年代中盤、宮沢りえさんの激痩せや京都のホテルでの負傷騒動が報じられると、週刊誌やワイドショーはりえママを「娘を支配するモンスターマザー」「ステージママの暴走」と激しくバッシングしました。ネット掲示板や知恵袋などでも、長年にわたり「毒親の典型例」として語られることが少なくありませんでした。
しかし、ネット上の単純化された悪評と、当事者たちが生きていた現実は大きく異なります。確かに光子氏のマネジメントは時に強烈であり、母娘の間で激しい衝突や精神的葛藤があったことは事実です。しかし、米サンタフェでの療養生活を経て、二人は「支配と被支配」を超えた独自の対等な絆を再構築していきました。
2000年代以降、宮沢りえさんは野田秀樹氏や蜷川幸雄氏の舞台で頭角を現し、映画『たそがれ清兵衛』や『紙の月』『湯を沸かすほどの熱い愛』で数々の日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。日本を代表する本格派女優へと大復活を遂げました。この復活の陰には、常に光子氏の揺るぎない鼓舞と、娘の才能に対する絶対的な信頼が存在していました。
2014年9月23日、光子氏が肝臓がんのため65歳で亡くなった際、宮沢りえさんは所属事務所を通じて以下の追悼コメントを発表しました。
「最期まで生きることへの執着を見せてくれた母でした。世界で一番愛する母を亡くしました」
この言葉が示す通り、外野が貼った「毒親」というレッテルでは到底推し量れない、深く濃密な愛憎と魂の結びつきが二人の間には存在していたのです。