1945年5月、ナチス・ドイツの降伏によって欧州戦線に終止符を打った連合国軍は、全戦力を太平洋戦域へと集中させました。そこで米統合参謀本部が承認した対日最終侵攻計画こそがダウンフォール作戦です。総指揮を執るマッカーサー大将(当時)の構想のもと、作戦は時差を設けた2つの大規模作戦に分割されていました。
第一段階となるオリンピック作戦(Operation Olympic)は、1945年11月1日を決行日(X-Day)に設定。目的は九州南部(宮崎・志布志湾・薩摩半島)への上陸と飛行場群の確保でした。米軍第6軍を主力とする約45万人の兵力、空母42隻を含む艦艇約1,300隻を動員し、続く首都圏攻略のための航空基地・補給拠点を南九州に構築する計画でした。
第二段階のコロネット作戦(Operation Coronet)は、1946年3月1日(Y-Day)を予定。オリンピック作戦で制空権・補給路を確保した後、湘南海岸(相模湾)および九十九里浜の2方向から関東平野へ直接上陸し、日本の政治・軍事的中枢である東京を挟撃・占領する構想でした。動員兵力は25個師団以上、100万人を超える未曾有の規模であり、ノルマンディー上陸作戦(約15万人)を遥かに凌駕する軍事史上最大の作戦となるはずでした。