インターネット上の掲示板やSNSでは、本作に対して「全共闘を美化した左翼的な政治演劇ではないか」「昔の学生運動を知らない若い世代には共感できないのではないか」という先入観や誤解が散見されます。しかし、これは作品の真意を完全に見誤った捉え方です。
実のところ、つかこうへい自身は学生運動に対して極めて冷徹な視線を向けていました。劇中において、全共闘の幹部たちは高邁な理想を語りながらも、内部抗争に明け暮れ、保身と虚栄心のために少女である美智子を無残に利用する偽善的な存在として描かれます。同時に、国家の番犬として学生を暴力で制圧する機動隊側も、一枚岩の英雄ではなく、田舎から上京し貧困や劣等感に喘ぐ若者たちの哀しい集合体として描写されます。
つまり『飛龍伝』は、政治闘争そのものを肯定・否定するための劇ではなく、「大きなイデオロギーや国家という巨大なシステムに巻き込まれ、使い捨てられていく名もなき若者たちの叫び」を描いた作品なのです。学生運動を歴史の教科書でしか知らない20代の若者が観劇しても深く心を揺さぶられるのは、現代の社会構造や組織における「理不尽な搾取」「承認欲求の葛藤」と完全に重なり合う普遍性を持っているからです。