坂井泉水が生前遺した制作現場でのストイックな姿勢は、同じスタジオワークを重ねていた若き日の倉木麻衣にも強烈な影響を与えていました。ビーイングの制作現場では徹底したボーカルワークと歌詞へのこだわりが求められますが、倉木麻衣自身もインタビューなどで「坂井さんの歌声と言葉の強さは、常に自分自身の目指すべき道標だった」と幾度となく敬意を語っています。
デビュー当時、メディア露出を極力抑え「楽曲そのものの力」で勝負していた両者のスタンスには、共通するストイシズムが通底していました。坂井泉水が急逝した2007年以降、追悼ライブや関連プロジェクトにおいて倉木麻衣が寄せたメッセージには、一貫して「坂井さんが届けてくれた勇気を絶やさずに歌い継ぐ」という揺るぎない覚悟が刻まれています。
音楽プロデューサー陣や制作スタッフの間でも、ZARDトリビュート企画において倉木麻衣にマイクを託すことは「必然の選択」として捉えられていました。2人の間にあった直接的な私生活の交流以上に、音楽制作の現場で共有されていた哲学の継承こそが、この特別なコラボレーションの原点です。