人生の後半期、桐島洋子が自らの理想郷として築き上げたのが、山梨県・八ヶ岳の裾野に構えた別荘「森羅山荘(しんらさんそう)」でした。
1980年代後半に建てられたこの山荘は、豊かな森に囲まれた本格的な木造建築で、彼女はここで「森羅塾」と名づけたサロンを主宰。自然と共生しながら料理を楽しみ、執筆や講演を行い、多くの文化人やファンが集う文化の発信基地となっていました。
しかし、70代後半に差し掛かった頃から、彼女の明晰な頭脳に異変の兆候が現れ始めます。診断の結果はアルツハイマー型認知症。あれほど雄弁で自立していた母親が、少しずつ記憶を失い、日常生活に支援を要するようになっていきました。
長女の桐島かれん氏が手記やテレビインタビューで語ったところによると、家族にとって最も過酷だったのは、母の誇りそのものであった「八ヶ岳の家」の維持が困難になった現実を受け入れることでした。広大すぎる敷地と厳しい冬の寒さは、認知機能の衰えた高齢の母を一人で住まわせるにはあまりにも危険だったためです。
子供たちは幾度も話し合いを重ね、断腸の思いで八ヶ岳の家を閉じる「実家の片づけ」を決断。膨大な蔵書やこだわりのアンティーク家具を整理し、洋子を都内の高齢者向け住まいへと移しました。母の激しい怒りや戸惑いに直面しながらも、子供たちは逃げずにその変化を受け止め、最期の瞬間まで手厚いサポートを続けました。