Q1:竹鶴政孝がサントリーを退社した本当の理由は何ですか?喧嘩別れですか?
A1:喧嘩別れではありません。本場スコッチの重厚な味を貫きたい竹鶴政孝と、日本人の口に合うブレンドを目指した鳥井信治郎の「製品づくりの哲学の違い」が根本にあります。竹鶴は鳥井と結んだ10年契約を満了し、山崎蒸溜所の稼働を完遂した上で円満に独立しました。両者は終生互いをリスペクトし合っていました。
Q2:妻リタはなぜ日本に骨を埋める決意をしたのですか?
A2:リタは政孝のウイスキーにかける情熱を心から信じ、支え抜くことを自らの人生の使命としたためです。第二次世界大戦中には敵国人として特高警察の監視を受ける過酷な状況に置かれましたが、日本国籍を取得し、生涯を通して政孝の良き理解者であり続けました。
Q3:竹鶴政孝の家系図や後継者はどうなっていますか?
A3:政孝とリタの間に実子はいませんでしたが、政孝の姉の子である甥の竹鶴威(たけし)を養子に迎えました。威はニッカウヰスキーに入社してブレンダーとしての技術を受け継ぎ、第4代社長に就任。仙台の宮城峡蒸溜所建設などを成功させ、ニッカの発展を決定づけました。
Q4:「ハイニッカ」にまつわる有名なエピソードとは何ですか?
A4:1964年の発売当時、高価だった本格ウイスキーを大衆に広く届けるため、当時の2級酒規格の限界上限まで高品質なモルト原酒をブレンドして破格の500円で発売しました。竹鶴政孝自身が「最も愛飲した酒」としても知られ、晩年は毎日ボトルに目盛りを付けてきっちり愉しんでいました。