父・一郎氏の急死を受け、若くして政界に身を投じた河野洋平氏。しかし、彼が歩んだ道は父の「武闘派」的なスタイルとは対照的な「ハト派」「リベラル」の道だった。自由民主党を一時離党して新自由クラブを立ち上げた行動は、当時の政界に大きな衝撃を与えた。
自民党復党後は内閣官房長官、外務大臣、そして自民党総裁や衆議院議長を歴任。特に1993年の「河野談話」は、慰安婦問題に関する日本政府の立場を示す歴史的出来事として、今日でも外交・歴史議論の中心に位置する。激動の時代において自らの信念を貫いた洋平氏の姿勢は、史実・家系図解説の文脈においても極めて重要な一章を形成している。