なぜ西行は、ただ「春」と願うだけでなく、あえて「そのきさらぎの望月のころ」と時期をピンポイントで指定したのでしょうか。ここには、中世の仏教信仰における決定的な意味が隠されています。
「きさらぎ」とは旧暦の2月(如月)を指し、「望月(もちづき)」とは満月、すなわち旧暦の15日を意味します。仏教の伝承において、如月の望月は釈迦入滅の日、つまり仏教の開祖である釈迦がクシナガラの沙羅双樹の下で涅槃に入った(息を引き取った)聖なる命日そのものを指しています。
当時、日本列島は保元・平治の乱から源平合戦へと至る未曾有の乱世を迎えていました。天災、飢饉、疫病、そして血みどろの権力闘争。「末法思想(仏の教えが衰え、世界が破滅に向かうという終末論)」が貴族から庶民にまで深く浸透していた時代にあって、死後の極楽往生を願う心情は現代人の想像をはるかに絶する切実さを持っていました。
沙羅双樹の下で涅槃に入った釈迦の姿を、日本固有の美である「満開の桜」へと重ね合わせ、釈迦と同じ満月の夜に旅立ちたいと願うこと。それは、出家者としての最高の理想であり、同時に自らの信仰の純度を神仏へ突きつける挑戦でもありました。決して「自殺願望」や「のたれ死にの美化」ではなく、自身の最期を仏徳の光で満たそうとする、強烈な祈りの結晶だったのです。