日本橋兜町に拠点を構えていた証券会社の店舗数や事業所数が激減した背景には、単なる景気変動にとどまらない、金融インフラと都市構造の根本的なパラダイムシフトが存在します。
第1の決定打となったのは、1999年4月30日の東京証券取引所「市場館(立会場)」の閉鎖です。それまで、東証の取引フロア(場立ち)へ手作業で注文票を届ける物理的なスピードが取引の成否を分けたため、各証券会社は東証の至近距離に本社や支店を置く必然性がありました。しかし、取引の完全システム化によって物理的な近接性の価値は消失し、証券各社が兜町に留まる理由は大きく薄れました。
第2の理由は、インターネット証券の台頭と取引手数料の完全自由化です。対面営業を主体とする地場証券の収益モデルが急速に厳しくなり、合併・廃業、あるいはコスト削減を目的としたオフィス規模の縮小が相次ぎました。
第3の要因は、メガバンクグループの再編と大手証券のオフィス需要変化です。野村證券(日本橋・大手町)、大和証券グループ(丸の内・グラントウキョウ)、SMBC日興証券(丸の内)など、大手証券は総合金融グループとしての機能集約やBCP(事業継続計画)対応、最新鋭の大規模フロアを求め、大手町・丸の内・日本橋室町エリアへと相次いで移転しました。これにより、かつて茅場町・兜町一帯を覆っていた「スーツ姿の証券マンで埋め尽くされた街並み」は急速に姿を変えることとなりました。