沖縄戦地下壕の歴史と現在を検証するうえで、豊見城の旧海軍司令部壕は特異な位置を占めています。1944(昭和19)年秋、米軍の上陸を予期した日本海軍第226設営隊は、小禄飛行場(現・那覇空港)を守備するため、火工班や現地動員された人々を指揮して強固な坑道陣地の掘削に着手しました。
驚くべきは、その工法の過酷さです。現在も壕内の天井や側壁を見上げると、無数に残るツルハシの打痕がくっきりと観察できます。岩盤は硬い「島尻層泥岩(クチャ)」であり、崩落を防ぐために坑木を組み、要所をコンクリートや漆喰で固めながら、延べ数千人の兵士や住民が昼夜を問わず手作業で掘り進めました。完成した陣地は、迷路のように張り巡らされた坑道に司令官室、作戦室、暗号室、電信室、医務室、下士官兵員室を配置し、およそ4,000人もの将兵を収容可能な一大地下要塞へと変貌したのです。
しかし、1945年3月下旬からの米軍による激しい艦砲射撃と空爆のなか、地上部隊との連絡網は寸断され、壕内は負傷兵のうめき声と硝煙、熱気、悪臭が充満する生き地獄と化していきました。戦後、長らく放置されていたこの壕は、1970(昭和45)年に戦没者の遺骨収集と整備が行われ、現在は周辺一帯が「海軍壕公園」として整備されています。併設された豊見城海軍壕公園ビジターセンター(旧資料館)では、壕内から発掘された軍刀、水筒、家族に宛てた遺書など当時の一次資料が常設展示され、戦争の悲惨さを今に伝える貴重な平和学習の拠点となっています。