1992年の解散後、メンバーはそれぞれソロや別ユニットで活動を続けていましたが、沈黙を破る形で発生した2つの事件によって、修復の可能性は完全に閉ざされました。
1. 2003年:高杢禎彦による暴露本『チェッカーズ』の出版
2003年、高杢禎彦が自著『チェッカーズ』(扶桑社)を出版。胃がん闘病からの生還とともに綴られたその手記には、藤井フミヤに対する強烈な批判が記されていました。「フミヤがバンドを私物化し、自身のソロ活動のために解散へ追い込んだ」「自分勝手な振る舞いで仲間を裏切った」といった生々しい主張が展開され、世間に大きな衝撃を与えました。
2. 2004年:ドラム・徳永善也(クロベ)の死去と「送る会」排除トラブル
暴露本によってメンバー間の冷戦が決定的となった翌年、ドラマーの徳永善也が舌がんのため40歳の若さで逝去。この悲劇がさらに事態を悪化させます。
葬儀後に執り行われた「徳永善也を送る会」において、発起人に名を連ねたのは藤井フミヤ、藤井尚之、武内享、大土井裕二の4名でした。高杢禎彦と鶴久政治の2名は発起人から外され、一般参列者と同じ扱いを受けたことで、高杢が記者会見で不満を露わにする事態に発展。「死者をも巻き込んだ骨肉の争い」として連日メディアを賑わせることとなりました。