木彫り熊と聞いて誰もが思い浮かべる「鮭をくわえて四つ足で踏ん張る姿」。しかし、発祥の地である八雲町で作られていた初期の作品には、鮭をくわえた熊はほとんど存在しませんでした。
八雲町の初期作品は、スイス仕込みの写実性と芸術性を重視し、面で熊の量感を表現する「面彫り(菊面彫り)」や、毛並みを一切彫らない「ハツリ彫り」など、静かで哲学的な佇まいを持つ熊が中心でした。熊が鮭を捕らえるのは自然界でも秋の産卵期の限られた時期だけであり、生態的にも常に鮭を咥えているわけではありません。
では、なぜ鮭喰い熊が国民的アイコンになったのか。その転換点は、昭和30年代〜40年代の高度経済成長期に巻き起こった北海道観光ブームにあります。
大型観光バスによる団体旅行や新婚旅行の定番先となった北海道において、観光客が求めたのは「一目で北海道とわかる力強さと大自然の迫力」でした。旭川の職人たちを中心に、北海道の特産品である「鮭」と獰猛な「羆(ヒグマ)」を組み合わせたドラマチックな構図が考案されると、これが土産物として爆発的ヒットを記録します。
「自然の恵みを勝ち取る力強さ」「富をくわえ込む縁起物」としてのストーリーが観光客の心理に合致し、年間数万体単位で量産され、日本全国のお茶の間へと運ばれていったのです。