岡田真澄は1935年9月22日、かつて「東洋のパリ」と呼ばれた中国・上海のフランス租界で生を受けました。父親は日本人画家・演出家の岡田宗芳、母親はデンマーク人のインゲボルグ・シーボルト。兄には、後にタレント・名司会者として一世を風靡するE・H・エリックがいました。
当時の上海は国際色豊かな文化の坩堝であり、幼少期の岡田はフランス語や英語が飛び交うハイカラな環境で感性を育みました。しかし、太平洋戦争の激化に伴い生活は激変します。終戦直前の混乱期に日本へ引き揚げるものの、当時の日本社会は戦後の混乱期であり、異国の血を引く兄弟に向けられる視線は決して温かいものばかりではありませんでした。
自著や当時の回顧録において、岡田は「彫りの深い顔立ちゆえに、街を歩くだけで理不尽な言葉を投げかけられることも日常茶飯事だった」と述懐しています。その疎外感を撥ね返す原動力となったのが、表現の世界でした。
1952年、設立間もない日活の第1期ニューフェイスに合格。同期の宍戸錠や名和宏らとともに銀幕の世界へ飛び込みます。1955年の『初恋カナリヤ娘』で本格デビューを果たすと、石原裕次郎の主演作『狂った果実』(1956年)や『嵐を呼ぶ男』(1957年)などに次々と出演。日本人離れした抜群のスタイルと端正な顔立ち、都会的な身のこなしは、戦後復興期の日本映画界に鮮烈な新風を吹き込みました。
親しまれた愛称「ファンファン」は、1952年のフランス名画『花咲ける騎士道』の主人公「ファンファン・ラ・チューリップ」(演:ジェラール・フィリップ)の軽妙洒脱な魅力にあやかって名付けられたものです。映画界から舞台、テレビドラマ、バラエティの司会まで、岡田真澄は生涯を通じてそのエレガントな看板を背負い続けました。