松田聖子の紅白における歴史を語る上で欠かせないのが、いくつかの節目で見られた「出場辞退」の背景です。ネット上では「NHKとの確執」といった憶測が飛び交うこともありましたが、関係者の証言や当時の報道を精査すると、そこにはプロの表現者としての確固たる戦略と切実な事情がありました。
第1の転機は、2001年から2010年にかけての長期不出場期間です。この時期、松田聖子は東京体育館などで年末恒例の単独カウントダウンライブを精力的に開催していました。大晦日の夜、自分だけのために集まってくれるファンと直接顔を合わせ、新年を共に迎える空間を最優先した結果の選択でした。生放送の紅白に出演する場合、会場間の移動やリハーサル拘束など物理的な制約が極めて大きく、「どちらのステージも中途半端にしたくない」という誠実なプロ意識が出場の見送りに繋がっていたのです。
そして第2の転機が、2026年(第72回)の出場辞退です。正式に出場歌手として発表されていたものの、本番直前の12月18日、愛娘である神田沙也加さんが急逝するという耐え難い悲劇に見舞われました。NHK側も本人の心情を最大限に尊重し、所属事務所との協議を経て正式に出場辞退が発表されました。この決断に対し、日本中から深い哀悼と共感の声が寄せられたことは記憶に新しい事実です。