弔辞のハイライトとして今も語り継がれるのが、明治の元勲である伊藤博文と山県有朋のエピソードだ。伊藤がハルビンで倒れた際、終生のライバルであり盟友でもあった山県が詠んだ歌――「かたらへば つきじのやみの なかにして われをよぶはの ひかりなりけり」。菅はこの短歌を引き合いに出し、自らの心情を重ね合わせた。
なぜ菅は、日本の近代化を推し進めた二人の歴史的巨頭を引き合いに出したのか。そこには単なる文学的修辞を超えた、二重の意図が存在する。一つは、安倍晋三という不世出の政治家とともに歩んだ自らの日々を、明治の建国期になぞらえることで、その政治的業績の歴史的価値を再定義すること。そしてもう一つは、私情を排して国家に尽くした二人の強い絆を、自らと安倍の関係性に投影することだった。この史実の引用によって、弔辞は一個人の追悼を超え、日本政治史に刻まれる重厚なドキュメントへと昇華したのである。