日本のポップス史において、1曲の歌がひとつの花にこれほどの文化的インパクトを与えた例は極めて珍しい。松田聖子の代表曲として知られるこの作品は、作詞の松本隆、そして呉田軽穂(松任谷由実のペンネーム)という最高峰のクリエイター陣によって世に送り出された。当時のソニー・ミュージックエンタテインメントの戦略とあいまって、楽曲はまたたく間に日本中で大ヒットを記録する。
このヒットはレコード産業だけでなく、日本の音楽出版産業のあり方や、楽曲に紐づくイメージビジネスの先駆けとなった。作品が放つ切ないメロディと物語性は、単なる流行歌にとどまらず、花卉業界をも巻き込む巨大なムーブメントへと昇華していったのだ。