多くのファンが抱いた最大の疑問は、「なぜインサイドで確実に押し込まず、難度の高い右足アウトサイドで合わせたのか」という技術的選択についてでした。この点について、柳沢敦本人は後年の雑誌インタビューや特番対談において、ピッチ上で起きていたコンマ数秒の思考プロセスを詳細に語っています。
当時の柳沢の証言によると、加地亮が抜け出した瞬間、柳沢は加地がそのまま角度のない位置からニア上を狙ってシュートを打つと予測していました。しかし加地はシュートモーションからグラウンダーの折り返しを選択。ボールは加地の右足から鋭いスピードで柳沢の足元へ向かってきました。
柳沢の視界には、必死に戻ろうとする相手GKプレティコサの巨体と、ニアポストをカバーしようと滑り込んでくるクロアチアDFの足影が入っていました。「インサイドで面を作って合わせれば、GKの足に当たるか、滑り込んでくる相手にブロックされるリスクがある」と瞬時に判断した柳沢は、コースを変えてファーサイドのネットへ流し込むため、あえて右足アウトサイドで外側へ押し出すキックを選択したのです。
しかし、酷暑で乾いたピッチの芝にボールが微妙に跳ね上がり、柳沢が想定していた足のミートポイントからわずかにズレが生じました。結果としてボールはアウトサイドの芯を外れ、回転がかかりすぎて枠外へ逸れていきました。
クロスを供給した加地亮も引退後の対談で、「完全に僕のミスでもあった。シュートを打つ体勢から急に折り返したため、ヤナギさん(柳沢)にとっても予測しづらいボールだったはず。しかも球速が速すぎた上に少し浮いていた」と現場のリアルな感覚を証言しています。ミリ単位の判断と技術が交錯する最高峰の舞台において、攻撃陣の呼吸と物理的なバウンドの不一致が生んだ悲劇的なアクシデントであったことが、当事者双方の言葉から裏付けられています。