初めて訪れる観光客が最も衝撃を受ける点の一つが、「西の河原露天風呂洗い場が存在しない」という事実です。広大な脱衣所を抜けると、目に入るのは広大な湯船と木製のかけ湯用湯船のみ。カラン、シャワー、鏡、シャンプー、ボディソープの類は一式すべて設置されていません。
「入湯料を払っているのに体を洗えないのは不親切ではないか」という不満の声が時折SNS等で見受けられますが、これには草津温泉の地質学的特性と環境保護における決定的な理由が存在します。
西の河原露天風呂に引湯されている主源泉は、草津屈指の湯量を誇る「万代鉱(ばんだいこう)源泉」です。この源泉はpH1.5〜1.7前後という塩酸に匹敵する強酸性を示します。その殺菌力は凄まじく、雑菌や細菌が瞬時に死滅するレベルであり、古くから「恋の病以外なら何でも治す」と謳われてきたほどです。つまり、石鹸でゴシゴシと体を洗わずとも、湯に浸かるだけで全身の角質軟化と強烈な殺菌作用が得られるという泉質上の根拠があります。
さらに重要なのが、自然環境への配慮です。1分間に数万リットルもの温泉水が湧き出す西の河原エリアでは、使用された湯がそのまま河川(湯川)へと合流します。もし500平方メートルもの巨大露天風呂に数十人〜数百人が同時に石鹸や界面活性剤を含んだシャンプーを持ち込めば、中和処理施設への負荷や下流域の生態系に多大な悪影響を及ぼしかねません。「純粋に湯そのものと草津の大自然と対話するための場所」として、意図的に洗い場を排除しているのがこの施設の本来の哲学なのです。