当時の随筆『武野燭談』や『慶長見聞集』などの記録からは、湯女風呂がいかに都市の熱狂を生み出していたかが生々しく伝わってきます。当時の江戸は参勤交代や土木事業により、男性人口が女性の2倍から3倍という極端な男余り社会でした。
風呂屋の主人は集客のため、湯女たちに最新の髪型や華美な小袖を着せ、京都仕込みの洗練された歌舞や三味線を習得させました。中でも「丹前風呂(たんぜんぶろ)」と呼ばれる神田柳原の風呂屋街は、美貌の湯女「勝山(かつやま)」などを輩出し、江戸のトレンド発信地となったほどです。
男たちは湯女目当てに競って派手な身なりで通い詰め、これが後に「丹前風(たんぜんふう)」と呼ばれる伊達男ファッションや無頼の美学を生み出しました。単なる性的な売買にとどまらず、孤独な独身男性たちの承認欲求を満たす高度なキャバクラ的エンターテインメントとして機能していたことが、熱狂の根本的な背景にありました。