伊401の艦長を務めた南部伸清(のちの自著手記や軍事誌『丸』などでの証言)をはじめとする関係者の記録からは、教科書的な戦史には載らない現場の生々しい葛藤が浮かび上がります。
特に困難を極めたのが、揺れる艦上で晴嵐をわずか数分で組み立てて射出する訓練でした。夜間や荒天時の洋上浮上は敵哨戒機に見つかるリスクと隣り合わせであり、秒単位での作業効率化が搭乗員と整備兵に求められました。南部元艦長は手記の中で、乗組員たちが連日油にまみれ、狭い格納筒の中でミリ単位の調整に心血を注いでいた現場の緊張感を回想しています。
終戦の詔勅を受信した際、有泉司令や首脳陣の間では抗戦か降伏かを巡って激しい議論が交わされました。最終的に国際法規に従い武装解除を決定したものの、搭載していた晴嵐は機密保持のため海中へ投棄・自沈処理され、有泉司令は米軍艦上での引渡し直前に艦内で自決を遂げました。現場の兵士たちが背負った国家の命運と、巨大兵器の結末のコントラストは、今なお重い教訓を突きつけています。