当然ながら、二人の関係は平坦な道ではありませんでした。保守的な地方都市アミアンにおいて、既婚で3人の子を持つ女性教師と、未成年の優等生が親密な関係にあるという噂は、瞬く間に地域社会へ広がりました。
最も激しい衝撃を受けたのはマクロン氏の両親でした。高名な医学者である父ジャン=ミシェル氏と母フランソワーズ氏は、当初「息子はブリジット氏の娘(同級生だったローランス)と付き合っているのだろう」と思い込んでいたといいます。しかし、真の相手が母親世代の女性教師本人であると知ったとき、両親は激怒。ブリジット氏の元へ直接抗議に赴き、「息子が18歳になるまで近づかないでほしい」と強く迫ったと伝えられています。
両親は関係を断ち切るため、マクロン氏をアミアンから引き離し、パリ屈指のエリート校である名門アンリ4世高校(Lycée Henri-IV)へと強制的に転校させました。実質的な「パリ追放」でした。
しかし、この引き離し作戦は青年の情熱の炎を消すどころか、かえって燃え上がらせることになります。パリへと旅立つ直前、当時17歳のマクロン氏はブリジット氏に対し、後に伝説となる決定的な言葉を残しました。
「あなたが何をしようと、私は必ず戻ってきて、あなたと結婚します」
パリでの過酷な受験勉強に身を投じながらも、マクロン氏は毎日のように長文の手紙を送り、何時間も電話口で愛を語り続けました。遠距離と世間の冷たい視線という障壁が、二人の絆をかえって強固なものにしていったのです。