相撲界屈指の結束を誇った花田家がなぜこれほどまでに激しい対立に至ったのか。報道各社の取材証言や当事者の手記・会見から浮かび上がる決定打は以下の3点に集約されます。
1. 宮沢りえとの婚約破棄劇と周囲の関与
1992年11月、大相撲界の新星だった貴花田(当時20歳)と、トップ女優だった宮沢りえ(当時19歳)の婚約発表は日本中を沸かせました。しかしわずか2ヶ月後の1993年1月に電撃破棄されます。この破棄を巡っては、宮沢りえ側の母(りえママ)の意向だけでなく、二子山部屋のおかみさんとしての立場を持つ藤田紀子側の懸念や相撲界の慣習が複雑に絡み合っていました。貴乃花本人が下した決断とされながらも、若き日の重大な決断に際して生じた周囲との摩擦が、家族への最初の不信の火種となったと指摘されています。
2. 2005年・父の逝去と遺産・部屋承継トラブル
決定的な亀裂を生んだのは、2005年5月に亡くなった父・初代貴ノ花(二子山親方)の葬儀・遺産相続問題でした。貴乃花は当時、二子山部屋の年寄名跡や財産管理、さらには生前の父への接し方を巡り、母・藤田紀子や兄・花田虎上(当時・花田勝)に対して公の場で強い疑念を呈しました。この「花田家骨肉の争い」は連日ワイドショーで大々的に報じられ、親子・兄弟の対話チャンネルは完全に遮断されることとなりました。
3. 相撲道に対する価値観と生き方の乖離
母・藤田紀子は女優出身であり、タレント性やメディア対応に長けたオープンな気質を持っていました。一方の貴乃花は、相撲を「神事」として厳格に捉え、妥協を許さない求道者的な気質を強く持っていました。この根本的な美意識や人生観の違いが、部屋の運営方針や私生活の選択において長年にわたり摩擦を生み出し続けた根本要因です。