沖縄での少女時代、安室奈美恵はバス代すら節約するために片道1時間以上の道のりを徒歩で沖縄アクターズスクールに通い詰めていた。その姿勢に誰よりも寄り添い、温かく見守っていたのが母親だった。家庭の事情で月謝の支払いが困難だった際も、スクール側の配慮と母の必死の支えによってレッスンを継続できたという話は有名だ。
やがて才能が開花し、ライジングプロダクションの社長に見出されたことで、彼女の運命は大きく動き出す。上京が決まった際、寂しさを抱えながらも娘の未来のために笑顔で送り出した母の決断がなければ、後のスター誕生はあり得なかっただろう。故郷・沖縄への深い愛着と、母への感謝の思いは、彼女のアーティストとしての背骨となり続けた。