松濤がなぜこれほどまでに特別な地位を確立したのかを紐解くには、江戸時代から明治・大正期にかけての歴史的文脈を理解する必要があります。この一帯は、江戸期には紀州徳川家の下屋敷が置かれていた格式ある土地でした。明治維新後、旧佐賀藩主の鍋島家が土地を買い取り、茶園「松濤園」を開墾したことが現在の地名の由来です。茶の銘柄名であった「松濤」という優雅な響きが、そのまま町名として定着しました。
大正時代に入ると、茶園の役目を終えた土地は鍋島家によって高級住宅地として分譲されます。当時、この地を手に入れたのは華族、高級官僚、軍の重鎮、名門財閥の創業者たちでした。分譲当初から「区画を細かく切り売りせず、広大な敷地を維持する」という方針が一貫して貫かれたため、都心至近でありながら邸宅が整然と並ぶ特異な景観が形成されたのです。
地形的にも、松濤は武蔵野台地の東端に位置する高台にあります。渋谷駅周辺の低地(谷底)から緩やかな坂を上った場所に位置し、水害リスクが極めて低い強固な地盤を誇ります。さらに決定的なのは、街区設計において外からの通り抜け車両が入りにくい「袋小路(クルドサック)構造」が多く取り入れられている点です。渋谷の商業エリアと物理的・地形的に隔絶されたこの立地こそ、真のプライバシーと安全を求める富裕層を惹きつけてやまない最大の要因といえます。