美川憲一の若い頃が超美男子!デビュー当時のイケメン写真と激動の真相

美川憲一の若い頃が超美男子!デビュー当時のイケメン写真と激動の真相

美川憲一の若い頃が超美男子!デビュー当時のイケメン写真と激動の真相にまつわる最新トピックを分かりやすく発信ます。

美川憲一を語る上で欠かせないのが、「正統派歌手」から「オネエ・毒舌タレント」への大胆な路線転換です。ネット上では「昔からオネエだったのか」「ビジネスで作ったキャラなのか」という疑問が長年議論されてきました。

1. デビュー曲から『柳ヶ瀬ブルース』への路線変更

デビュー曲『だけどだけどだけど』(1965年)は、作曲家・米山正夫の手による典型的な青春歌謡でした。しかしセールスは芳しくなく、事務所とレコード会社は生き残りをかけて第2作『柳ヶ瀬ブルース』でガラリと路線を変更します。10代の美男子にナイトクラブの哀愁漂う「女歌」を低音のハスキーボイスで歌わせるというギャップが的中し、累計120万枚を超える大ヒットを記録しました。

2. 低迷期を救ったコロッケのものまねと逆転の発想

1970年代後半のトラブルによる活動自粛を経て、美川憲一は長い不遇の時代を過ごしました。当時のテレビ界からは完全に忘れ去られた存在となっていましたが、転機は1980年代後半の「ものまねブーム」で訪れます。ものまねタレントのコロッケが、大げさにデフォルメした「美川憲一のオネエ風ものまね」を披露し、爆発的な人気を博したのです。

一般的な歌手であれば怒りや拒絶を示すような場面でしたが、美川憲一の対応は常識外れでした。彼は自らコロッケのステージにサプライズ乱入し、「ちょっとアンタ、やりすぎよ」「もっと端っこ歩きなさいよ」と、ものまねのパブリックイメージを逆手に取って自らオネエ言葉を被せたのです。

この柔軟かつ戦略的な切り返しによって、視聴者は彼を「面白い大御所」として再認識。1989年以降のCM出演やバラエティ進出を通じて、芸能史に残る大復活を成し遂げました。

山田 真由
著者

山田 真由

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