なぜ国家は彼らをそこまで恐れたのか。その核心には、当時の最高裁判所に相当する大審院で進められた徹底的なフレームアップ(でっち上げ)の構造がある。近代日本の法治主義を自任していたはずの法廷は、最初から「全員有罪」の結論ありきで稼働していた。
裁判は一審制で上訴の権利すら与えられず、完全な非公開の密室で行われた。弁護側が請求した重要証人の出廷は悉く却下。起訴された26名のうち、実に24名に対して死刑判決が言い渡されるという異常極まりない量刑が下されたのだ。
判決の翌日、明治天皇の「恩赦」という形で12名が無期懲役に減刑されたが、これも計算された政治的演出に過ぎない。国家の寛大さを国内外に誇示しつつ、首謀者と見なされた幸徳秋水や管野スガら12名は、判決からわずか数日という異例の速さで処刑された。証拠不十分な者を巻き込み、恐怖によって社会全体を沈黙させる――これこそが国家権力が仕組んだ粛清の全貌だった。