江戸時代の花火の歴史と真実|隅田川のルーツから玉屋追放の裏側まで

江戸時代の花火の歴史と真実|隅田川のルーツから玉屋追放の裏側まで

江戸時代の花火の歴史と真実|隅田川のルーツから玉屋追放の裏側までの全体像を詳しく解説してご紹介します。

花火を見上げる際に響く「たまや〜」「かぎや〜」という掛け声は、江戸の二大花火師である「鍵屋」と「玉屋」を称える観客の声援が由来です。もともと鍵屋は万治2年(1659年)に創業した老舗で、奈良から江戸・日本橋に出てきた初代・弥兵衛が草加の葦の管に火薬を詰めた玩具花火を売り出したのが祖とされています。

文化7年(1810年)、鍵屋の番頭だった清七がその卓越した技術を認められ、八代目・鍵屋弥兵衛から暖簾分けを許されて両国広小路に「玉屋」を創業しました。両国橋の上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持ち、互いの技術と意匠を競い合う「二大花火師の競演」が誕生したのです。

比較項目宗家 鍵屋(かぎや)暖簾分け 玉屋(たまや)技術・歴史的意義創業年・系譜万治2年(1659年)創業・本家文化7年(1810年)創業・分家江戸花火の二大流派を確立打ち上げ担当エリア両国橋の下流側(南側)両国橋の上流側(北側)観客が橋の上で見比べて声援技術的特徴堅実で伝統的な重厚感ある光新奇性と華やかさ、工夫された残光黒色火薬の調合技術の極致当時の庶民人気安定した玄人受けの評価圧倒的な熱狂と圧倒的支持「玉屋贔屓」が掛け声の主役に定着その後の運命現在(第15代)まで看板を継承天保14年(1843年)失火で江戸追放存在期間はわずか33年で断絶

当時の江戸っ子は、両国橋の上から両者の打ち上げを見比べ、見事な仕掛けに「たまやーっ!」「かぎやーっ!」と声を張り上げました。特に玉屋は工夫を凝らした演出で絶大な人気を博し、掛け声の頻度も玉屋が鍵屋を圧倒していたと伝えられています。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。