日本古代貨幣史における最大のターニングポイントは、1999年1月の奈良文化財研究所による公式発表でした。奈良県明日香村に位置する飛鳥池遺跡(あすかいけいせき)の発掘調査において、富本銭そのものだけでなく、鋳型(銭範)や溶融した銅、鋳棹(湯道)など、貨幣を計画的かつ大量に生産していた工房跡が白日の下に晒されたのです。
それ以前にも、江戸時代の古銭収集書『和漢古銭雲錦薄』への記載や、1969年の平城京左京三条二坊からの出土例(1枚)は確認されていました。しかし当時は「後世の模倣品」あるいは「吉祥を願うまじない用の銭(厭勝銭=えんしょうせん)」と見なされ、国家の公式貨幣とは認められていませんでした。
飛鳥池遺跡の地層年代測定および共伴した木簡の年号調査により、富本銭の鋳造時期が7世紀後半(680年代前半)であることが確定。『日本書紀』天武天皇12年(683年)4月15日の条にある「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」という有名な詔(みことのり)に記された「銅銭」こそが富本銭を指すという見解が、学界の確固たる主流となりました。