巨人の主力外野手として、1976年には打率.297、10本塁打を記録してセ・リーグ外野手部門のベストナインを獲得。王貞治氏や張本勲氏らとともに強力打線を支えた淡口氏でしたが、1985年オフ、プロ野球界を揺るがす大型トレードが成立します。
当時、捕手の補強が急務だった巨人と、勝負強い左の強打者を求めていた近鉄バファローズの思惑が一致し、「淡口憲治 ⇔ 有田修三」という1対1の電撃トレードが敢行されたのです。主力選手同士の移籍は大きな話題を呼びました。
パ・リーグに移籍した淡口氏は、指名打者(DH)や代打の切り札として近鉄の「いてまえ打線」に円熟味を加える役割を果たしました。特に伝説として語り継がれる1989年、仰木彬監督率いる近鉄が前年の「10.19」の悲劇を乗り越えてリーグ優勝を果たしたシーズンにおいて、淡口氏の勝負どころでの打撃とベンチでのリーダーシップは不可欠なピースとなっていました。この1989年シーズンを花道に、淡口氏は惜しまれつつ現役を引退しました。