昭和の竜宮城・目黒雅叙園の謎|改称理由から千と千尋のモデル真相まで

昭和の竜宮城・目黒雅叙園の謎|改称理由から千と千尋のモデル真相まで

昭和の竜宮城・目黒雅叙園の謎|改称理由から千と千尋のモデル真相までの基本情報から最新動向までをわかりやすく整理しました。

目黒雅叙園を語る上で欠かせない都市伝説が、宮崎駿監督の世界的名作アニメーション映画『千と千尋の神隠し』(2001年)に登場する湯屋「油屋」のモデルではないかという噂です。インターネット上では「愛媛の道後温泉本館が唯一のモデル」とする説と「目黒雅叙園こそが本命」とする言説が二分して語られてきましたが、スタジオジブリ公式の資料や関係者の証言を紐解くと、極めて明快な事実が浮かび上がります。

スタジオジブリが発行した公式刊行物や当時の制作資料において、宮崎駿監督は油屋の着想元について「特定の1つの建築ではなく、様々な温泉街や歴史的建造物の記憶が混ざり合っている」と前置きした上で、「目黒雅叙園の内部装飾や渡り廊下の意匠などを参考にスケッチを重ねた」旨を明確に明かしています。劇中で描かれる、絢爛豪華を極めた格天井、木彫り金箔の欄間絵、神様たちが往来する長大な渡り廊下、そして赤い絨毯の敷かれた階段の空気感は、かつての目黒雅叙園旧館の意匠そのものです。

この特異な建築を生み出した人物こそ、創業者の細川力蔵です。1928年(昭和3年)に芝浦で開業した純日本料亭に端を発し、1931年(昭和6年)に目黒の現在地へと進出。「目黒雅叙園」と命名されたこの施設は、「本物の芸術を、身分の隔てなく一般庶民が楽しめるように」という力蔵の信念のもと、当時一流の日本画家、彫刻家、蒔絵師、建具職人を総動員して造営されました。名もなき職人たちが腕を競い合い、壁面から天井、鴨居に至るまで極彩色の彫刻や螺鈿(らでん)で埋め尽くされた空間は、いつしか庶民の間で「昭和の竜宮城」と呼ばれるようになったのです。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。