山本文緒の経歴は、現代日本文学界においても極めて特異な軌跡を描いています。神奈川大学経済学部を卒業後、一般企業でのOL勤務を経て、1987年に少女小説レーベルである集英社コバルト文庫から作家デビューを果たしました。
1990年代に入ると一般文芸へと活動の軸足を移し、働く女性たちのリアルな葛藤や自立の難しさを描いて急速に注目を集めます。その文学的評価を決定づけたのが、以下のマイルストーンでした。
- 1999年:『恋愛中毒』で第20回吉川英治文学新人賞を受賞(他者への執着に狂わされる女性心理を解剖し、恋愛小説の新たな金字塔を打ち立てる)
- 2001年:『プラナリア』で第124回直木賞を受賞(「どこにも行けない」無力感を抱えた20代〜30代女性の日常を切り取り、時代の空気を完璧に捉えたと激賞される)
しかし、直木賞受賞の栄誉と多忙は、彼女の心身を深刻に蝕みました。過密スケジュールとプレッシャーから重度のうつ病を発症し、作家活動は事実上の完全休止へと追い込まれます。この執筆不能の空白期間は約10年間にも及びました。
多くのファンが彼女の復帰を危ぶむなか、再婚と軽井沢移住を経て、2020年に刊行されたのが奇跡の長編小説『自転しながら公転する』でした。親の介護、非正規雇用、結婚への焦りという三重苦のなかで揺れ動く女性を描いた本作は、第16回中央公論文芸賞を受賞し、本屋大賞第5位にも選出。見事な文壇復帰を果たした矢先の病魔発覚は、あまりにも残酷な巡り合わせでした。