かもめ学園旧校舎3階の女子トイレに現れる「トイレの花子さん」こと花子くん。彼の生前の本名は柚木普(ゆぎ あまね)であり、双子の弟である柚木司(つかさ)とともに昭和40年代の学園に通っていた実在の男子生徒でした。当時の中学生らしいあどけなさを残す風貌でありながら、彼の瞳には常にどこか諦念と孤独が漂っていたことが、当時の関係者の回想から窺えます。
普を語る上で欠かせないのが、かもめ学園の七不思議の5番目「16時の書庫」の管理者である理科教師・土籠との関係性です。生前の普にとって、土籠のいる理科室や準備室は、生々しい現実の痛みから逃れられる唯一のシェルターでした。1969年7月、アメリカのアポロ11号が人類初の月面着陸に成功した歴史的な時代。普は宇宙に対して人一倍強い憧れを抱き、「月に行くこと」を純粋に夢見る天文少年でした。
その普が、ある日「先生にあげる」と言って土籠に手渡したのが、彼自身が宝物にしていた「月の石」でした。土籠は後に「そんなもの本当の月の石であるはずがない」と振り返りつつも、その小さな欠片を自らの依代(よりしろ)として半世紀以上も守り続けます。普はこの時、まるで自らの行く末を予見していたかのように、憧れと未来の象徴であった石を手放しました。土籠が手にした学問の書庫において、普は「将来、理科の教師になる」と確定した未来を記されていました。しかし普は、神の手によって定められたその未来の白紙化を選び、自ら命を絶つ道へ向かって転落していったのです。