ネット上では当時、「ノーベル賞を小馬鹿にしている」「賞金を無視している」といった極端な言説が散見されました。しかし、これらはディランという表現者の実像を見誤った誤解に過ぎません。
第一に、ノーベル賞の賞金(約800万スウェーデンクローナ=当時約1億円)を受領するためには、受賞発表から6か月以内に受賞記念講演を行うことが義務付けられています。ディランは期日満了直前の2017年6月、ピアノの即興演奏をバックに約27分間にわたり自ら吹き込んだ録音スピーチ(受賞記念講演)をアカデミーへ正式提出しました。
この講演の中でディランは、少年時代に貪り読んだ文学作品としてハーマン・メルヴィルの『白鯨』、エーリヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』、そしてホメロスの『オデュッセイア』という3冊の古典を精緻に分析しました。文学がいかに自身の精神と楽曲制作の血肉となってきたかを詩情豊かに語り尽くし、最後は次のような言葉で締めくくっています。
「歌は生きている世界で歌われるものであり、ページの上で読まれるためのものではない。(中略)ホメロスが『わが内に歌え、ムーサよ、そして物語を語れ』と祈ったように」
2017年4月1日、ストックホルム公演の合間を縫って行われたメダルの受領セレモニーも、事前の合意通りメディアを一切入れない完全非公開の場で行われ、アカデミー関係者とシャンパンを交わしながら和やかに進行しました。ディランは無礼を働いたのではなく、自らの表現領域である「音楽」と「ツアー生活」の日常を一切崩さず、職人としての筋を通したのです。