黄金の国ジパングの真相解明|マルコ・ポーロの誤解と金色堂の衝撃

黄金の国ジパングの真相解明|マルコ・ポーロの誤解と金色堂の衝撃

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日本が海外から「無尽蔵に金を産出する国」と見なされる契機となった最大の舞台は、京都の朝廷ではなく、12世紀の東北・平泉でした。平安時代末期、陸奥国(現在の東北地方)を支配した奥州藤原氏(清衡・基衡・秀衡)は、北上川流域をはじめとする広大な河川敷から採取される膨大な陸奥の砂金を手中に収めていました。

初代・藤原清衡が建立した岩手県平泉の中尊寺金色堂(1124年建立)は、まさにその経済力と宗教的情熱の頂点を示す建築物です。堂の内外を総漆塗りにした上で極薄の金箔を隙間なく貼り巡らせ、内部の須弥壇には螺鈿(らでん)細工や象牙、蒔絵を凝らした極楽浄土の具現化でした。当時の記録である『吾妻鏡』や同時代の日記資料を精査すると、奥州藤原氏は朝廷への莫大な貢納だけでなく、日宋貿易を通じて中国の宋代商人たちと極めて活発な直接交易を行っていた事実が確認できます。

奥州藤原氏は、宋から輸入される大量の宋銭や高級陶磁器、香料の対価として、惜しげもなく陸奥の砂金を支払いました。中国の沿岸部(明州=現在の寧波など)に停泊した貿易船の商人たちにとって、「東方の未開の地から、信じがたい純度と分量の金が運ばれてくる」という光景は強烈な衝撃を与えました。彼らが目撃した中尊寺金色堂の豪奢な建築様式や、砂金が決済手段として日常的に飛び交う平泉の熱気は、商人たちの口述によって中国全土、さらには東アジアの交易ネットワーク全体へと急速に広がっていったのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。