江戸の都市部における特異な人口動態は、女性の立場を大きく押し上げる要因となりました。参勤交代に伴う武士の単身赴任や各地からの出稼ぎ労働者が集中した結果、江戸の男女比率は約1.7対1から時期によっては2対1近くに達する極端な男余りでした。独身男性が溢れかえる街において、未婚・既婚を問わず女性は貴重な存在であり、婚活市場は常に圧倒的な「売り手市場」だったのです。
離婚制度についても大きな誤解が存在します。夫から妻へ渡される「三行半(みくだりはん)」は、夫が一方的に妻を追い出す横暴の象徴と捉えられがちですが、実際には「妻が他家へ再婚することを許可する公的な離縁状」としての性格を強く持っていました。この書付がないまま再婚すると重婚罪に問われるため、三行半はむしろ次の人生へ踏み出す女性を守る法的パスポートだったのです。
さらに、江戸時代の結婚と離婚(三行半と縁切寺)を巡る手続きでは、妻側から積極的に別れを切り出すケースも珍しくありませんでした。夫が同意しない場合でも、幕府公認の縁切寺(鎌倉の東慶寺や上野国の満徳寺)に駆け込んで一定期間修行を積めば、公権力によって強制的に離婚が成立しました。女性たちは制度を巧みに利用し、理不尽な婚姻関係から自力で脱出する手段を持っていたのです。